東海道五十七次とは?日本橋から大阪までを歩く57の宿場町

「東海道五十七次」という言葉を聞いたことはありますか?教科書でおなじみの「東海道五十三次」よりも4つ多い、江戸・日本橋から大阪までを結ぶ本来の東海道の全体像です。この記事では、東海道五十七次の成り立ちと見どころを、実際に歩いてスタンプを集められるスポットとあわせて紹介します。

東海道五十七次とは

広重の浮世絵などで広く知られる「東海道五十三次」は、日本橋から京都・三条大橋までの53の宿場町を指します。しかし江戸幕府が整備した東海道は、本来はそこからさらに大坂(大阪)まで続いていました。1619年、京都から大坂までの区間(京街道・大坂街道)が正式に東海道に組み込まれ、伏見宿・淀宿・枚方宿・守口宿の4宿が追加されたことで、日本橋から大坂・高麗橋までの全57宿となったのです。

53次と57次、何が違う?

53次は「日本橋 〜 京都・三条大橋」、57次はそこに大坂までの4宿を加えた「日本橋 〜 大坂・高麗橋」。つまり57次は53次を内包する、より長い旅の記録です。京都止まりで語られることが多いのは、東海道中膝栗毛などの文学作品や浮世絵シリーズが53次を題材にしたことが大きいと言われています。

江戸から難所へ — 序盤のみどころ

日本橋を出発した旅人がまず目指したのは品川宿。そこから戸塚・藤沢・平塚と神奈川の宿場が続きます。序盤最大の難所は、標高が最も高い場所にある箱根宿。日本屈指の厳しい関所が置かれ、「入鉄砲に出女」の取り締まりが徹底されていました。

富士山と大井川 — 自然が生んだ名所と難所

箱根を越えると、原宿では富士山が美しく見える絶景が旅人を迎えます。一方、島田宿と金谷宿の間に横たわる大井川には橋が架けられず、増水すると「川止め」で数日足止めされることも珍しくありませんでした。

広重が描いた宿場町

歌川広重の浮世絵シリーズ「東海道五十三次」には、今も語り継がれる名場面が数多く登場します。

庄野宿を描いた「白雨」は、夕立に見舞われた旅人たちの動きを見事に切り取った構図で、シリーズ随一の傑作として世界的に評価されています。蒲原宿の雪景色、由比宿の薩埵峠から望む富士山なども、広重の代表作として知られます。

今も残る宿場町の景観

三重県の関宿は、東海道で唯一、江戸時代の大規模な町並みがほぼ完全な形で保存されている貴重な宿場です。隣の坂下宿は鈴鹿峠の険しい登り口にありましたが、明治の鉄道開通で衰退し「幻の宿場」とも呼ばれています。また新居宿には、日本で唯一現存する江戸時代の関所建物があり、当時の姿をそのまま見ることができます。

京都から大坂へ — 57次ならではの4宿

三条大橋を渡った先、57次はさらに大坂を目指します。伏見宿は秀吉の城下町から発展し、淀川水運の発着地として大いに賑わいました。淀宿は宇治川・桂川・木津川が合流する水陸の要衝。枚方宿では、船に近づいて食べ物を売る「くらわんか舟」が名物でした。そして最終宿・守口宿を越えると、東海道57次の終着点・高麗橋(大坂)に到着します。

実際に歩いて、スタンプを集めてみよう

宿場町は今も現地を歩くことで、当時の街道の雰囲気や名残を肌で感じることができます。asiotoでは、東海道五十七次の全57宿を含む全国の宿場町・観光スポットで、現地チェックインによるデジタルスタンプラリーを楽しめます。品川宿から高麗橋まで、実際に歩いた記録を残しながらコンプリートを目指してみませんか。

asiotoでスタンプを集めに行く

コメント

タイトルとURLをコピーしました